対談「人間の条件」(続)

「世界」(3月号、「世代を超えて語り継ぎたい戦争文学」)要約
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この対談はまえにも書いたとおり、「世代を超えて語り継ぎたい戦争文学」という題名がついている。前回、たまたま「人間の条件」が主題になっていて、このサイトでも「人間の条件」が話題になっていたときだったので、「対談『人間の条件』」として紹介させていただいた。今回の内容は、「人間の条件」に留まらず、五味川さんを中心にして戦争文学をより広く扱っておられる。しかし、いまさら、「戦争文学」とするのもひっかかる。で、そのままとして(続)を付すこととした。そのようにご了解いただいて、お目通し願えれば幸甚である。

「軍隊体験は人を変えた」
佐高:佐橋滋さんは城山三郎さんの「官僚たちの夏」の主人公のモデル。元通産次官。彼は最後まで非武装中立を貫いた。彼は軍隊で、歯の根があわないほど殴られる体験をしている。「攻められたらどうする」に対して「じゃ、軍隊があれば大丈夫なのか」と切り返していた。
澤地:私は敗戦後満洲で軍隊は頼りにならないことを身を以て体験した。同様な体験者が「殺すより殺されたほうがいい。その覚悟をしていれば何もこわいものはない」というのを聞くと心から同感する。なかにし礼さんは、政治的発言はしなかったのだが、このごろははっきりものを言われる。

「軍隊という『飼いならされた群れ』」
佐高:終戦翌年、外務省は、満洲にいる人は帰ろうと思わないで、仕事を見つけて働け、なんて言ってたそうです。
澤地:国会でも、担当大臣が同じこと言ってます。阿鼻叫喚の巷になっているのに。草場参謀は著書で、「軍の主とするところは戦闘」であって「居留市民の保護は我々の任務ではない」と。この国の軍隊はそういうものだと思っていたほうがいい。
佐高:軍隊は、階級社会の最たるもの。将校と兵士では全然待遇が違う。
澤地:敗戦後、上官に捨てられソ連に武装解除され、シベリアに送られてゆく兵隊が丸腰で「戦陣訓の歌」を歌って行進して行くのを見た。私は、逃げりゃいいのに、と思いました。悲しいですね、飼いならされた動物みたい。そういう集団を作った。開拓団の女性から「兵隊さん、もうやめてくれ。毎日女狩りでやられているけれど、兵隊さんたちがここで戦闘したらもっとひどいめに会う」と言われて、梶は井戸に銃を放り投げる。

「『人間の条件』が受け入れられた理由」
佐高:戦争を描いた小説で「人間の条件」ほど売れたものはないのじゃないか。
澤地:そう。五味川さんは品の悪い人じゃないけれど、「人間の条件」には品の悪い卑俗なところが出てくる。面白いともいえるのでしょうが。
佐高:梶の妻美千子が戦場に行く、そんなこと可能ですか?
澤地:絶対あり得ないと思う。ましてや、泊まらせて、夜明けにヌードになって立ってくれなんて。プライバシーなんてない世界です。手紙の発信にも非常な制限がある。城山さんの「一歩の距離」という作品は、葉書に貼る切手の裏にメッセージを書いて親に出す、それが見つかってひどいリンチを受ける話。陸軍はもちろん、海軍も同じ。城山さんは、そういう体験を伝えられる最後の作家かも知れない。

「軍隊や戦争を体験した人々が読んだ」
佐高:あの頃、ベストセラーになったのは、軍隊経験を引きずった読者がいたからか?
澤地:経験者はもちろん。戦争をひとりの人間の運命に託して書いた小説。女の人たちも読んだ。美千子に対する共感。結果的に悲劇に終わる愛情を描いてもいます。福永武彦は「草の花」という小説で「梶」と同じ青春を描いた。
佐高:いまの若い人たちは、戦場で死ぬということを実感できないでしょうが、実は愛することさえできなくなる。
澤地:若い人たちに、人を好きになるのは自由だけれど、その前に大勢の人たちが愛を阻まれて死んでいっていることを忘れてほしくない。「援交しても誰も困るわけじゃない」なんてことは、絶対に言ってほしくない。

「軍隊内部のリアルな描写」
澤地:「人間の条件」はやさしい小説ではないが、上手い構成になっていてスラスラ読める。いろんな職業を背負って軍隊に入ってくる人が登場する。その人たちがリアルに描かれる。火薬で傷口を消毒してもらって助かる兵隊、五味川さんは、戦後その人に会っている。
佐高:一割も生き残らなかった戦場にいたような人は、喋らないことが多い。平岩外四さんなども絶対に喋らなかった。
澤地:レイテ島なんか生き残り3%なんですよ。

「孤立し、潰される悲劇」
澤地:昭和初年のテロの効果、テロの怖さは、みんなの気持ちが委縮して、テロリストがやりたい方向に流れを作ってゆくことでしょう。
佐高:2004年、自己責任だというイラクの人質バッシングがあったが、ああいうものに対して「違う」という声が出てこないと・・・。みんなが「そうかな?」と首を傾げているときに違う声が出てくれば、雪は跳ね上がる。久野収さんは、捕まった時、監獄で「やーとな、それよいよいよい」が聞こえてきて、おれはこれにまけたんだ、と思った、と言われている。
澤地:石堂清倫さんも治安維持法で捕まり、転向して出てきて郷里に帰った時、駅のホームから出征兵士を送る「天に代わりて不義を討つ」が聞こえてきて、孤独感とともに、おれは負けたと思った、と五味川さんに話されたそうです。当時は、隣組という力を持った組織もあった。
澤地:梶は、後悔している、自分が殴られれば何とかなるんじゃなくて、もっと周りに一緒にやっていける人間を作ることが必要だったんじゃないか、と。特殊工人の斬首に立ち会うような時にも、中国人たちが抗議のザワザワという声を上げたことで執行が停止になったわけで。それができなかったのは、共産党を含めて、日本の政治活動がいかに貧困であったかということでもある、というのが五味川さんの戦後だいぶ立ってからの感想だった。北欧などでは、大きな町にはレジスタンス・ミュージアムがある。アメリカでも独立を顕彰するプレートなどがある。日本は、それが持ててない。
佐高:自由民権などで、なくもないのですがね。「人間の条件」はレジスタンス文学でもある。
澤地:反戦、反軍小説です。

「五味川純平と政治」
佐高:「戦争と人間」で、標耕平が「何も信用するな、まず疑え」という。日本人にはこれがなさ過ぎる。パッと信ずるんだけれど、すぐに「裏切られた」となる。
澤地:自分の存在の放棄ですね。五味川さんは、こんなひどい世の中になったら最後はテロ以外にない、という気持だった。私は、そこには折り合えなかった。終わりに近い作品「この堅き肉」はひとりでやるテロです。
佐高:城山三郎さんもテロには否定的でした。
澤地:五味川さんは、かなり政治運動もやった。北海道知事の横道さんの応援など。市民運動にはあまり関心がなかった。

『拝啓天皇陛下様』
澤地:「人間の条件」だけでなく、戦争を扱った小説を若い人にも読んでほしい。棟田博さんは「拝啓天皇陛下様」を書いた人、その人に「サイパンから来た列車」というのがある。誰もいない夜更けの東京駅に列車が着き、軍装した兵士が街に散ってゆく、それぞれわが家にいって、今どうなっているかを確かめて、戻ってくる。皇居遙拝にいって、また列車で去っていく、というすじ。死者たちにも意志があるんです。

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